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番外編―タトゥーを語るー
はじめてのタトゥー
正直、ああ人生終ったくらいの不安はありました(笑) 普通に日本の教育を受けて育ったので、タトゥー=悪の塊みたいなイメージがまだあったんだと思います。
入れるか否か、直前まで悩んでいたら、タトゥーを入れてくれた人に、「タトゥー入れて人生終るんやったら、そんな人生初めから終ってるよ。」って言われて(笑)「あ、確かに」って納得しましたね。
でも、親には4年間隠していました。タトゥーアーティストになりたいことも、タトゥーを入れていることも、意を決してこの夏に伝えたばかりです。伝えた直後は悲しませてしまったけれど、僕の意思を尊重して、理解を示してくれました。親が応援してくれたり、親に相談できることはやっぱりすごく大きくて、心から正直に伝えて良かったなと思っています。理解のある親への感謝でいっぱいです。
日本のタトゥーへのネガティブイメージについて思うこと
親に4年間も隠していたのは、生んでくれた体に無言で傷をつけたという罪悪感と、日本社会のもつタトゥーへのマイナスイメージが大きな理由になっていたと思います。
でも、「日本社会がタトゥーに寛容になるべき。」だとか、「みんながタトゥーにいいイメージを持つべき。」とは思っていませんね。このあり方も日本のタトゥー文化です。タトゥーが忌み嫌われていることで、日本社会においてタトゥーは「特別」で「神秘的」なものになっている側面もあると思います。その分、タトゥーを入れることに対する心理的ハードルも高く、そのハードルを越えてタトゥーを入れる人にはそれなりの覚悟があって、強い想いをもってタトゥーを入れている人が多い。そうした、タトゥーを入れることへの達成感・重みが大きいのは素敵だと思いますね。実際、お客様の中には、「これで、仕事頑張れます。」と言ってくれる人がいたり、タトゥーの存在とケアとしての大きさを実感させていただくことが多いですね。
日本とタトゥーの歴史
日本では石器時代からタトゥーの歴史があります。
琉球の女性が手に施した「ハジチ」や、北方民族の「アイヌのタトゥー」そして江戸の「和彫」など様々です。例えばハジチは美の基準でもあったそうですが、当時、現在の日本から見て地位の低かった琉球の女性は、しばし遊女として日本へ連れて行かれることもあったそうです。そこで、タトゥーを入れていると、遊郭でお客がつかないので、連れていかれることが少なかったんです。お守りとしてのタトゥーですね。アイヌの人々のタトゥーで有名なのは「既婚者の証」としての口の周りのタトゥーですが、その他、誘拐された時にどの民族かを証明するオリジナルの柄もあったようです。また江戸のタトゥーは「素肌をさらすことへの恥じらい」という日本特有の文化によって生まれており、ふんどしで仕事する人が素肌を隠すために全身に入れたものが現在の和彫と呼ばれるものです。
そうやって日本には古くからタトゥーが存在してきたんですが、明治時代に欧米化を目指したとき、タトゥーは古い文化の象徴として禁止されました。少数民族に対する評価も非常に低かったので、ハジチやアイヌも同様に禁止されました。その禁止令が解かれたのが戦後です。だから、およそ7-80年の間、日本で禁止されていてた禁止令だけが解かれて、いまだにタトゥーに関する法律は整備されていないんです。本当に絵にかいたような無法地帯です。
この間、大阪のタトゥーアーティストが「医師免許を持っていない」ということで裁判になり、無罪の判決が出ましたよね。
あの判決自体はタトゥーがより社会的に認められた、というわけでは全くなく、「法整備が必要」だとやっと認識されて、スタート地点に立てただけだと思っています。これがポジティブな方向に行くか、ネガティブにいくかはわからないけど、僕が生きているうちに法整備がされるかどうかは疑問です。
タトゥーマシーンはエジソンが開発した?!
「タトゥー」って言葉はポリネシア諸語の「tatau」が由来なんです。先のとがった道具にインクをつけて、肌をたたき少しずつ傷つけながら施術するのが伝統的な施術の方法で、その擬音語です。時が経につれ、施術方法も変化していきますが、今の主流のタトゥーマシーンは、エジソンが発明した電気ペンが基になっているらしいです(笑)タトゥーアーティストが「これタトゥーに使えんちゃう?」ってひらめいて、改造して、今のタトゥーマシーンができたという意外な歴史もあります(笑)
TomiさんのPASSION
なくなった祖父からもらった言葉「努力に勝る天才はなし」です。今まで生きてきて、これは真実だと思っていますし、努力すれば、天才にも勝てるかな。って頑張る原動力になっている言葉ですね。小学生の時に、祖父が紙に書いて渡してくれたのですが、年々その言葉の重みが増しています。
Tomiさんが人生で大切にしていること
人生を「枠組み外しの旅」として捉えていて、この考え方は僕にとって重要かもしれません。自分のもっている既成概念を壊すというよりも、一度、概念の枠組みを外して組み替えて自分の世界を広げていく。理解できないもの、怖いものって闇の中にあると思うんですよね。実態が分からないというか。だから、自分のもっている光の枠を広げていくって感じです。闇を削っていく、実態の分からないものを明るみに出すイメージです。でも、既成概念を変えると言っても、絶対に越えられない一線はありますよね。例えば小さなことでも、ポイ捨てはしないとか人を傷つけないとか。越えてはいけない一線は守っていたい。だから、タトゥーの施術で言うなら、衛生管理はしっかりしたいし、レイシスト系のタトゥーは頼まれても入れないと決めています。当たり前のことかもしれませんが。
尊敬している人は?
尊敬している人や憧れている特定の人はいません。どんな人も長所があると思っているので、意識的につくっていないのかもしれません。また、全員をフラットに捉えるようにしているのもありますね。例えば、5歳児が経験していることを80歳の人が経験しているとは限らないのに、年齢で上下関係が生まれたり、敬語を使うのには違和感があります。
阪大生に一言。
自分が大切にしていることでもありますが、
「1:自分の思う”もったいなくない選択”をする」
「2:好きなことを大切にする」
「3:行動する」の3つを特に伝えたいです。
この仕事を選んで、「え、もったいなくない?」と、よく言われます。阪大に入ったから、大手企業に勤めなきゃいけない、この道に進まなきゃいけない、みたいな、自分はこういう人だからこうなるべきというような雰囲気は少なからずあると思います。でもせっかく頑張って入った大学が足かせになるようなことがあるとすれば、それこそ自分の頑張りがもったいないと思います。大学なんて、されど大学たかが大学です。所属している大学には誇りをもつべきです。でも最終残るものは自分自身だけ。四年間が過ぎれば過去のものです。自身の直感に従うのがいいんじゃないかなって。もし自分がやりたいことが理解の得られないものでもいい。他者の考える「もったいない」選択と自分にとっての「もったいない」選択は全く別物だということはぜひ意識してほしいです。
もったいない職業なんて、ないと思います。ピュアな心で自分が納得したその道にこだわりを持って進んで「自分にとって」もったいなくない道を選んでほしい。
また、好きなことを大切にしてほしいと思います。好きなことを大切にするには、「仕事にする。」「趣味にする。」などたくさんの方法がありますが、自分が一番納得できる方法で優先的に大切にしてほしいです。
最後に、好きなことが見つからない人はたくさんいると思いますが、だからこそ、なんでもいいので、行動してほしいです。行動を重ねて初めて、好きなことが見えてくると思います。生まれながらに好きなことがある人なんていないので、時間とお金が許す限り、行動し続けてほしいなと思います。